大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和31年(あ)3185号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差戻す。

理由

弁護人森静雄の上告事件受理申立理由について。

所論は、不法に入国した外国人は、外国人登録法三条所定の登録証明書交付の申請義務がないという見解に立って、原判決に法令の解釈に関する重要な事項について違法があると主張するのである。しかし外国人は、不法にわが国に入った者といえども外国人登録令四条一項所定の登録申請義務があると解するのは当裁判所大法廷の判例とするところである(昭和二九年(あ)第二七七七号同三一年一二月二六日大法廷判決、集一〇巻一二号一七六九頁参照。)したがって本件の外国人登録法の関係についても同趣旨に解すべきこというまでもなく、原判決の見解は正当であって、所論は採用できない。

しかし職権をもって記録を調べてみると、原審は、被告人の犯罪事実の存在を確定しないで被告人に無罪を言渡した一審判決を破棄し、自から懲役三月執行猶予一年の判決を言い渡したのであるが、その審判はいわゆる書面審理に止まり事実の取調をした形跡がない。このような手続は刑訴四〇〇条但書の解釈上許されないことは当裁判所の判例(昭和二六年(あ)第二四三六号同三一年七月一八日大法廷判決、集一〇巻七号一一四七頁。昭和二七年(あ)第五八七七号同三一年九月二六日大法廷判決、集一〇巻九号一三九一頁。昭和二八年(あ)第三四三〇号同三二年四月二六日第二小法廷判決、集一一巻四号一四九一頁各参照)とするところであるから、この点において原判決は違法であり、破棄を免れず、なお事実の取調を行うため福岡高等裁判所に差し戻すを相当とする。

よって同四一一条一号、四一三条により裁判官垂水克己の少数意見、裁判官小林俊三の補足意見を除き裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

裁判官垂水克己の少数意見は次のとおりである。

一 基本的意見 「第一審判決が犯罪事実の確定をせず、無罪を言い渡した場合に控訴裁判所が何ら事実の取調をすることなく第一審判決を破棄し、訴訟記録並びに第一審において取り調べた証拠のみによって、直ちに、被告事件について犯罪事実の存在を確定し有罪の判決をすることは、刑訴四〇〇条但書の許さないところである。」と、当裁判所大法廷は昭和三一年七月一八日判決した。これは在来の大法廷、小法廷判例を一部変更したものであるが、果して然るか。

私は右大法廷判決に関与せず、その後本件で始めてこの問題に出会ったのでここに私の意見を述べる。

私は、刑訴四〇〇条但書の解釈に関する右大法廷判決には賛成できない。私の意見は右判決における裁判官田中耕太郎、同斎藤悠輔、同岩松三郎、同本村善太郎の反対意見と同一であるからここにこれを引用する。尤も以下に示す私の意見とくいちがう部分はこの限りでない。

なお、若干を附加する。

第一審公判廷で公訴事実の実体に関し適法(適憲を含む)な方法で取り調べられた証拠能力ある証拠は、刑訴三九四条により「第一審において証拠とすることができた証拠」として「控訴審においても、これを証拠とすることができる」。同条によって、かような証拠は一審裁判所が取捨選択して被告人に不利な事実または利益な事実を認定(確定)する証拠とすることができると同様に、控訴裁判所も格段の証拠調をすることなくそのまま一審裁判所とは異る独自のやり方で取捨選択して一審判決の事後審査として、或は一審の犯罪事実の認定を是認し或はこれと異る犯罪構成事実を認定することができる。また、控訴裁判所は一審判決が措信しなかった一審の証拠を措信して一審有罪判決を是認することもでき、また、同様にして一審無罪判決を破棄し格段の事実の取調をしないで直ちに有罪判決をすることもできる。これはなんら憲法に違反しない。

けだし、実際上、事実問題としての有罪か無罪かの決まる主要点は或特定の証拠物、書証、証拠書類を如何に解釈し証拠価値を判断するかにかかっているだけの事件が少くない。すなわち、これを判断するための取調方法は、控訴裁判所が検察官と弁護人(弁護士であるところの)の公判の口頭弁論で双方の意見を聴くだけで足り、或は、命令(刑訴三九〇条)により若くは任意に出廷した被告人の陳述を聴くだけで足り、殊に出廷した弁護人からあえて事実の取調を請求しない事件があるのである。上訴審でのいわゆる書面審理の対象のうちには記録中の検証図面、写真はもちろん、脅迫状、偽造手形その他の押収物を含むが、例えば或文書が、「有価証券」に当るか否かは押収にかかるその文書若くはその写を見ればそれで決まり、それだけで犯罪事実を認定できるか否かが決まる事案がある。押収の刃物が不法携帯罪の対象になり得るか否かの法律問題は先ず事実問題としてそれが如何なる寸法形状品質のものであるかを確定しなければならないがそれには押収物を実見すれば足りるという事案の如きもある。これらの場合に一審無罪判決に事実誤認ありや否やは上記のような口頭弁論で当事者双方(場合により被告人本人)の陳述を聴取しただけで実質上は足り、当事者双方それで異議ない場合もあるのである。(控訴審では被告人が裁判所の命令で出廷した場合〔刑訴三九〇条〕たると任意に出廷した場合たるとを問わず証拠方法としてでなく訴訟主体として口頭弁論に立ち会うものであるから陳述することも許される。この場合、被告人に一審と異り逐一書類を読聞けて意見を聴くことなどは法律上必要なく単に事件についての被告人の一般的若くは重点的主張弁解を聴くだけで足りる、そしてこれは事実の取調に当らない、と私は考える。)のみならず、同一事項について記録中の数個の書類(例えば数個の診断書、鑑定書、供述調書)のうち何れに真実性ありやの証拠判断はそれら書類を比較熟読することで決まる事案も多々あるのであって、かような場合に控訴審で弁護人が事実の取調を請求せず、殊に被告人の陳述を聴いたような場合には、格段の事実の取調をしないで一審証拠だけで一審無罪判決を有罪に変更しても違法ということはできないのみならず、妥当を欠くともいい難い。要するに、法は一審無罪の場合でも事実の取調をするか否かを決することは事案上具体的妥当性の観点から控訴裁判所に任かせたのである。控訴審のいわゆる書面審理の場合でも、公開の口頭弁論は開かれる。そして裁判所が被告人本人の陳述を聴くこともあるのである。ただその場合裁判所は直接証言を聴かないことは多いであろうが、すでに一審で被告人が証人を申請し証人に対し反対尋問の機会が充分に与えられる等一審の審理手続が防御権を尊重し適憲適法に行われた以上、その公判廷で適法に取り調べられた証拠はそのまま控訴審の事実判断の証拠として採用されてよいのである。その結果、控訴裁判所は全然証言を直接聴取せず、しかも一審の証拠取捨と異る証拠取捨をして一審が証拠不十分とした公訴事実を証拠十分なりとして犯罪事実を認定し一審無罪判決を破棄して有罪判決をしても刑訴法はよいというのである。これまた一つの事後審査である。若しそれ死刑事件等に至っては控訴審で事実の取調をする慣例を樹立するがよいが、これをしないからといって違法というべきではない。

一審で公訴事実の実体につき証拠調ないし全審理を適法に行わないで不法に有罪、無罪を言い渡し或は公訴事実の実体について証拠調をしないで免訴や公訴棄却の判決をした場合には、一審で被告人は起訴にかかる犯罪事実の存否について適法な審理を受けていないから、実体問題については審級の利益を受けていないから、この場合は控訴審で一審判決を破棄し事件を一審に差戻さずに一審同様の直接審理をすることは許されないこというまでもない。この場合一審で調べられた証拠は公訴事実たる犯罪事実の存否について「第一審において証拠とすることができた証拠」ではないから、「控訴審においても、これを証拠とすることができ」ない(刑訴三九四条)。

以上の理由で私は冒頭掲記の大法廷判決に賛成しない。

二 一審判決が事実を確定した場合 しかし右大法廷判決は「第一審判決が犯罪事実を確定せず、無罪を言い渡した場合」について判示している。この部分を如何に解すべきか。

右大法廷事件の一審判決は要するに「被告人が免許を受けずして竜丸を台湾に輸出しようと企て船長として同船に乗組み三崎港から台湾に向け出港し以て同船を輸出したものであるとの公訴事実につき考察するに……関税法三一条、七六条に所謂貨物中には船舶を包含しないから被告人が免許を受けないで船舶竜丸を台湾に輸出したとしても同条の犯罪を構成しないから、この公訴事実については無罪の言渡をすべきものである」とし主文で無罪を言い渡した。一審が適法手続で事実(証拠)調をしたか否かは不明である。この判決では被告人が免許を受けなかったか、受けない意思であったか、目的地は台湾か対馬か、果して竜丸は船舶で被告人はこれに乗組んだか等々を含む事実の認定はない。だから、この判決は「犯罪事実を認定せず無罪を言い渡した判決」に当る訳である。

「本件公訴事実を認めるに足る証拠はない(犯罪の証明がない)」とする判決もすべて犯罪事実を確定しないで無罪を言い渡した判決に当る。

しかし、私見によれば、一審の審理手続殊に証拠調手続において被告人側の利益が充分に尊重され違憲違法の点がなければ、被告人は一審で審級の利益を失ったともいえないのであって、控訴裁判所は別段の事実の取調をしないで、一審公廷に現われた証拠能力ある証拠によって一審判決を事実誤認の理由により破棄して自ら犯罪事実を認定して有罪を言い渡すことができる。この場合、控訴審で再び被告人と一人でもの証人の陳述を直接聴かなければ有罪判決を言い渡せないということは憲法の直接審理口頭弁論主義の要求からは出て来ない。

これに反し、一審判決が事実を確定した場合とは如何。ここに「事実」とは検察官が起訴状において真実でありかつ法律上犯罪を構成すると主張する事実をいう。それは公訴事実と全部一致する事実、または、公訴事実と態様を異にし不一致部分があるがなお公訴事実と同一性を失わない事実にほかならない。そしてその確定した事実が「罪とならない」として無罪判決を言い渡すことがあることは刑訴三三六条の予定するところであると考える(例えば、適法な証言、物証等により起訴状記載どおり、或内容の文書を販売した事実を確定し、または、殺害事実とともに当時心神喪失者であった事実を確定して、この事実は法律上罪とならないとする如き場合である)。

注意すべきは、私見によれば、無罪判決には必しも確定した事実についての証拠の標目を示す要はなく、また、被告人の自供のみを証拠として事実を確定しても違法ではないが、無罪判決が自白のみによらず恰も有罪判決と同様に証拠の標目を示して事実を確定した場合でなければ控訴審判決においてそのままその確定事実に法律を適用して犯罪となるという判決はできない。これを許せば自白のみによる有罪判決がまかり通ることとなろう。

右大法廷判決が「本件の如く第一審判決が被告人の犯罪事実を確定せず」という意味は、同判決前段にいう「公訴事実の存在を確定せず」の意味、すなわち、私が上に述べた「事実の確定」の意味でしかあり得ない。そして、一審がかように厳格に事実を確定し証拠を示して無罪判決をした場合には、控訴審は法律点のみについてこの事実は犯罪を構成するとし有罪を言い渡しても、これこそ純然たる事後審査であるから、何ら違憲違法でないことは明白である。

私は、一審無罪判決がかように厳格に事実を確定した場合には控訴審が別段事実の取調をせずにこれを法律上犯罪を構成するものとして有罪判決を言い渡しても違法ではないことを、右大法廷判決は反面において判示しているものと解する。従ってこの点に関するかぎり同判決には賛成である。

三 本件一、二審判決 本件記録によると、被告人は一審公廷で公訴事実を認め被告人の警察供述、検察官供述は全部事実と相違ないと陳述し、証人、物証、供述調書等を取り調べたが弁護人は執行猶予を求めただけである。一審判決は、被告人は中国人であるのに外国人登録証明書の交付を申請しないで本邦内に在留していたとのほぼ公訴事実と同様の事実を「検察官提出の証拠により認めることができるが、」密入国者であることは証拠上明らかであるから被告人に密入国事実の申告を強制できないとの理由から罪とならずとして無罪を言い渡した。この一審判決は、確定した事実についての証拠の標目を有罪判決の場合と同様に示していないから、控訴審で直ちにこの事実に法律を適用して有罪判決をすることのできない瑕疵があったといえよう。

しかし、検察官の控訴趣意は一審判決の確定事実に対する法令適用の誤を主張するだけで右手続上の瑕疵や事実誤認を主張しない。控訴審口頭弁論では検察官、弁護人の法律点のみの弁論があった。控訴審判決は自ら別段の事実の取調をせずに改めて一審証拠によりほぼ一審確定事実と同様の事実を確定し、その証拠の標目を示した上一審と異る法律解釈(しかし結論において当裁判所大法廷の最近判例と同様の)を示して右事実は犯罪を構成するとして有罪を言い渡した。

私は次のことは大切だと思うが--かように一審判決が証拠によって事実を確定したがその標目を示す点において右の程度の瑕疵があっても、控訴趣意は何ら一審のこの手続上の瑕疵を攻撃せず、単に一審無罪判決の確定事実に対する擬律の誤を主張するに過ぎない場合に、控訴審が改めて一審証拠により有罪判決同様に証拠の標目を挙示して一審と同様の事実を確定したときは、たとえ控訴審が自ら事実の取調をせずに有罪判決を言い渡しても何ら違法というべきではないと考える。本件一、二審のこの訴訟経過を見ないで一概に一審判決が事実を確定しなかったと解釈し破棄差戻をすることは失当で無益である。当事者訴訟の建て前からいって、本件差戻により当事者が正当に若くは実質上受ける利益はないに等しい。

本判決の多数意見に到底賛成できない所以である。

裁判官小林俊三の補足意見は次のとおりである。

前記判決の破棄理由に私かぎりの意見を補足するため、昭和二七年(あ)第五九七号同二九年六月八日第三小法廷判決(集八巻六号八二一頁以下)、同昭和二六年(あ)第一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決(集九巻八号一一八九頁以下)に述べた私の意見をここに引用するほか、次の点を附加する。

本件のような場合、二審がいわゆる書面審理だけで、はじめての有罪判決(一審無罪だから実質的には二審が最初の審級として有罪判決をするのと同様である)ができるとすると、被告人本人の顔を見ず意見弁解すら聴くことなしに被告人を有罪とする裁判手続を認めることになり、このことは人間が長い間の努力と犠牲によって築き上げて来た刑訴手続の公正というもっとも大切なことを、他のきわめて技術的な形式論理に安住して、捨て去るのであり、憲法三一条以下の規定が、その前提としてあるいは基本として立つ原理を全く骨抜きにするという非難を免れないこと、前記引用の意見において述べたとおりである。

特に二審において書面審理だけで有罪判決ができるとする見解について私の解し難いことがある。おしなべて一審無罪の場合は、被告人の情状についてなんら取り調をしないのが通例である。これは無駄なことはする必要がないからである(違法性阻却事由等についても同様のことがいえる)。本件の場合もこの例に洩れず情状を調べた形跡はない。しかるにこのような場合の二審に限り情状を全く調べることなく有罪の判断だけで量刑を盛って差し支えないという根拠が何処にあるのであろうか。何故かかる控訴審に限り、情状を調べないで処断刑を定めても違法でないか、いいかえればかかる特種の審級を是認し得る格段の理由があるのか、その説明を得たいのであるが未だこれを聴くことを得ないのである。一審で調べた記録上の他の資料だけで情状の判断は十分であるなどというのは裁判官自身の独善以外の何物でもない。なおこの点について昭和二八年(あ)第一七一三号同三二年三月一三日大法廷判決(集一一巻三号九九七頁以下)に述べた私の意見をここに引用する。

(裁判長裁判官 小林俊三 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己)

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